2007年09月07日

台風

2年振りに関東上陸した台風9号。
昨晩もやはり台風情報が気になり、報道ステーションを見ていましたら・・テレビ朝日は意外や意外、結構ベテランが各地の中継に飛んでるのですね。
中でも長野智子さんが八丈島からレポートされてたのにはビックリしました。今や報道キャスターとしてご活躍の長野さん。(ひょうきんアナの顔はすっかり影をひそめた様子)
これは命令なのか、それとも自ら「私が行きます!」と立候補したのか定かではありませんが。いずれにしてもこの大型台風のさなか八丈だなんて、かなりの覚悟がないと行けませぬ。
長野さんのお陰か、レポートはかな〜り長いもので八丈の様子がつぶさに分かったのは良かったです。ま、このレポートが長野さんでなくてはならなかったのか、というと疑問ですが、なんとなく報道に厚みがあったような、気はします。

その八丈はかなり被害が出ているようでした。(八丈に限らず、近隣の島々はどこも大変でしょう。)八丈思いの私はなんだか気になりさらにネットでいろいろ状況を見ていたのですが、ある方のブログのこんなお話にぐっときてしまいました。

***blog「ビヨ家のあのね2」より

 「ねぇ、お母さん。週に何回か、台風が来たらいいと思わない?」
 「え?!なんで」
 「牛乳が届かないからさ、八丈牛乳が売れると思うんだよね!
  そしたら、なくならないのになぁ〜。八丈牛乳好きだから、
  なくなんないでほしいなぁ〜。。。」

***

その八丈牛乳、後継者不足などでなくなるらしいのです。
ああ、なんてかわいくてせつないお話なんでしょう。
ボク、こっちで売ってたら、お姉さん迷わず八丈牛乳買うのになぁ。。。

最近いろいろな場面で聞く、後継者不足。これってどんどんニッポンの財産が失われていくことになるのに。分かっちゃいるけどなんにもできないもどかしさ。

被害の心配から後継者不足まで憂う台風9号でありました。
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2007年04月09日

奥深き東京

都知事選、蓋をあければ石原さんの圧勝ですか。なんとなく読めてはいましたが、他の候補者が潰し合った感も?

ところで、東京都といえば八丈島も東京。去年の旅行からはや1年が経ちました。あれ以来、愛しい八丈島。現地情報満載のブログなどを見て、ひとときも忘れずに思いを馳せています。

そのブログで最近知ったこと。
八丈には亀食の文化があるらしい。
「亀の煮付け」の写真が出てました。
記事はこちら「八丈島のおいしい暮らし」
やぎ肉を食べるのは知ってたけど、亀、ですか・・煮て食べるんだ・・
世の中知らないことっていっぱいあるもんだな。

次いつ行けるか分からないけれど、今度行ったら、さらに奥の青ヶ島に行ってみたい。小笠原諸島もいいなぁ。知らない東京、まだまだたくさん。
方向変わって、奥多摩の方の西東京もほとんど知らないもんな。自然多きひっそりした山里もいつか行ってみよう。

やっぱり東京ってでっかい。
こんな都市、他に類を見ないぞ。

最後に、最近少し悲しかったこと。
本籍が、
「東京都千代田区内神田」から
「宮城県○○郡○○○字○○○○○○」(※全て漢字が続きます)
に変わったこと。
いまだに覚えられない。
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2006年12月24日

Merry Christmas !!

今月はブログも寂しい更新頻度となってしまいました。
毎年のことですが師走というだけあって毎日全力疾走状態でそろそろ息切れしそうな気配。あと1週間・・・乗り切らねば。

さて今日は、私のとっておきの写真を。。。
ボケボケでゆがみまくってるのですが、大好きな1枚です。

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ある年のクリスマスの母と私。八丈島にて。

母は赤いワンピースに白いハイソックス、私は逆に白いワンピースに赤いタイツ。そして手にはこれまたコーディネートされたお人形。とことん赤白しちゃってます。
私もめちゃくちゃ楽しそう。なんていい笑顔なんでしょう!(自画自賛)
薄手のカーテンや壁に掛けてある団扇が八丈島っぽくて、どことなくのどかな雰囲気。
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2006年04月20日

八丈島ルーツ探訪記(4)

八丈の自然

八丈島は、はるか昔、海中噴火の際に吹き出た溶岩でできた島です。海岸はどこもワイルドな印象で、東映のオープニングムービーを彷彿とさせる景色が見られたり。パンフレットにあった言葉を借りると“やんちゃな男の子のような海”、まさしくそう、決して湿っぽくはありません。たまに「白い砂浜ないの〜?」とガッカリする観光客もいるようですが、そのあたり心おきを・・・。

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漆黒(溶岩)白(波しぶき)ブルー(海、空)、この色のコントラストこそが八丈の海。

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溶岩でできたダイナミックな造形と黒潮に乗ってやってくる様々な魚が見れるとあってダイビングスポットとしても人気。釣り客も多い。私は残念ながらどちらもできず・・・

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一日目の夕日。

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二日目の夕日。


いたるところに生い茂るヤシの木が南国ムードいっぱいの八丈。観葉植物で有名なヤシ科の一種フェニックス・ロベリニー(通称ロベ)は、市場に出る90%以上が八丈のもので、主たる産業の一つでもあるのです。
そして八丈の花といえば、フリージア。

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刈り取る前の最後の姿。
他にはストレチア(極楽鳥花)、ハイビスカス、ブーゲンビリア、ツツジ、アジサイなど。

二日目はレンタカーを借りてまわっていたのだけど、どこでもちょっと脇道を入ると、すぐディズニーランドのジャングルクルーズの世界に突入。車がゴンドラになったような錯覚に陥る。不慣れな運転では先に進めず、引き返すこともしばしば。まだ奥深き未知の場所がたくさんある。

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道路沿いの菜の花畑。その奥はもうジャングルだったりする。

八丈にいるとそこかしこで、様々な鳥の鳴き声を聞くことができる。木村さんの詳しいガイドで、バードウォッチングの楽しみを知り、にわかバードウォッチャーとなった私。鳴き声がするとずっと上向いて歩いてた。

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天然記念物の『アカコッコ』を間近に発見して興奮!

こうして一見楽園のように見える八丈も、人にとっての自然環境は、必ずしも穏やかなものではなく、どちらかと言えば「厳しい」と言ってもいいと思う。
紫外線は東京の5倍。無防備に日焼けをして死にかけそうになってる若い観光客がよくいるそう。
年間降水量は平均で3,000mm、全国3位。スコールはしょっちゅう、快晴の日も本土に比べたらごくわずか。
そして言わずと知れた台風の通り道。風速50〜60m級の台風がくるのはざら。
別に台風が来てなくても、風が強いのは普通で、私が「うわ〜、すごい風」と言ったら、木村さんに「こんなの、風が吹いてるうちに入らないよ。」と一笑されてしまった。

土器の発掘によって縄文時代から人が住んでいたと言われるこの孤島で、幾度となく災害に遭いながら、厳しい自然環境を乗り越える知恵を身につけてきた島人達。また木村さんによると「働かざる者、喰うべからず」精神も根強く残っているそうで、これも先人達が八丈で生き抜くために必死だった事を裏付けてるのだと思う。「八丈では大儲けはできないけど、明日食べるだけの食料と稼ぎには困らない」と昔木村さんが言っていたのを思い出した。

流人の話

私の拙い知識と今回得た知識を織り交ぜて。
秀吉の五大老の一人宇喜田秀家が、八丈島に流された最初の流人であり、それが1606年のこと。(秀家は島で50年を過ごし本土に帰ることなく83才にて死去。)
それから明治時代に流刑がなくなるまで、およそ1900人あまりの罪人が流されてきたそうだ。
はじめは武将、僧侶など政治犯や思想犯が多かったのだが、そのうち賭博や喧嘩、放火などの罪で流された農民や町人が増えたそう。
そんな彼らが、飢えから暴れ出さないようにと、おにぎり1個と引き替えに、海岸から玉石を運ばせて築いたのが『玉石垣』。ここは私が八丈の好きなスポットの一つ。ここまで美しい玉石垣はそうそう見られないと思う。1つの石のまわりを6つの石で囲う積み方はつなぎ材は使用されていないのに地震でも決して崩れることがなく、単純に見えるようだけど実は計算し尽くされて積み上げられたものなのだ。

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流人の暮らしぶりは、というと。
流罪は死罪に次ぐ重刑だが、八丈への遠島が言い渡された罪人はひとえに皆、顔に生気が甦ったそうだ。他の島では、死罪の方がまし、というところもあったらしい。(ちなみに、八丈への流人船が出ていたのは『霊岸橋』(現中央区、永代橋付近)で、この地に通勤していた私は、ちょっと「へえ〜」だった。)
事実、島での流人の暮らしは割と自由だったようだ。島の人は流人を特別視することなく受け入れ、島人と同じように接したようだし、お墓でさえ分かれていないのだそうだ。この懐の深さが今にも受け継がれていることは、島の人に接していてよく分かる。
中には赦免となっても島に居残ったり本土から戻ってきたりする者もいたようで、ある者は八丈の教育に貢献し、ある者は建築技術や醸造技術を伝え、ある者は流人と八丈について文献にまとめた。実際にはきれいごとばかりではないだろうが、流人と島人の差別のない交流があったから、というのも事実だろう。

今年の1月に『るにん』という映画が公開されたのを知ったのが八丈に行く前のこと。監督はあの奥田瑛二氏。内容は賛否両論あるようですが、ぜひとも観なければ。


最後に 〜木村さんが見たもの

帰る日、飛行場に見送りに来てくれた木村さんとお茶を飲みながら話していた。最後になって木村さんは自分のことを少し語り出した。

「おじさんはね、八丈から羽田に向かう飛行機の中で見ちゃったんだよ。
それは東京を中心に、千葉から神奈川にまたがるグレーの層でね、
辺り一帯を覆ってたんだ。
なんとも言葉ではうまく言い表せないんだけど・・・
魔物のような、不気味で恐ろしいものに見えたんだ。
その層を境に上は真っ青な空が広がってたんだよ。
まあ、その下に入ってしまえば、なんてことないんだろうけど、
それを見ちゃったらもう戻れないと思ったんだ。」

私は、ふとんの中で物語を聞く子供みたいに、その“魔物”を想像してた。
グレーの層は紛れもなく光化学スモッグで、上空からスモッグの塊を見てしまった木村さんはこれがきっかけとなって八丈に移り住むことを決意したのだという。

今回お会いしたホテル関係者の方々は、木村さんも含めて、皆関東や東北から移り住んだ方だった。子供は島で産まれ、教職についたりしてほとんど島に残っているそうだ。木村さんのお嬢さんは八丈空港でANAの職員として働いていた。

突然、東京に戻ることを決めた父はどうだったのだろう。その理由は知らない。でも木村さんによると、戻る1年以上前から仕事を辞めたがっていたそうだから、仕事に飽きたのか、東京の刺激が恋しくなったのか、そんなところだろう。
父が戻ったことで今の私の生活があるのだけど、父が移り住んでいたら私も島で働いてたりするのかな、なんてことを考えてしまった。父がこの“魔物”を見ていたらどうだったのか。

木村さんが言うように、“魔物”の下で暮らしていると、薄グレーの夜空も当たり前だし、たまに旅行先で見るきれいな夜空がかえって旅気分を味わえたりしていいんじゃない、くらいなもんだ。ましてや下町好きな私のこと、都会以外で暮らすことなんか考えたこともない。人が多くて、ゴミゴミしてて、空気が汚くて、水も美味しくなくて、って分かっていても。生活だって、“スローライフ”や“ロハス”はほど遠い。これが今の自分。

今回の旅は、八丈が特別な場所でなくなったこと、私にとってはこれが大きかった。距離がぐっと近づいた感じ。最初にも書いたけれど、いろんな思いがあって今までどこか構えてたところがあったから。木村さんも言ってくれた。「お母さんのこととか関係なしに、またリフレッシュしにおいで。」って。出生地だからとか、母の散骨をしたから、とかそういう大義なしに、もっと気軽に行ってみたいと思える場所になった。

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木村さん、ありがとうございました。また行きます!

長く引っ張ってしまった、八丈島話、これにて終わりといたします。
<完>
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2006年04月17日

八丈島ルーツ探訪記(3)

♪波をジャブジャブジャブジャブかきわけて〜

ご存知『ひょっこりひょうたん島』。
このひょうたん島、八丈島がモデルだったって知ってます?それもつい最近“決着”がついたらしい。はて・・???

前回は見かけることのなかったドンガバチョ達が、島のポスターやパンフレットに登場していた。

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木村さんによると、「我が島こそがひょうたん島だ!」と主張する島が4〜5はあったそう。そして、このほど原作者の一人である井上ひさし氏が真実を語ったとか語らないとか(ちょっとうやむや・・)で、八丈島がモデルということでひとまず決着がついたらしい。まあ、NHKに支払う版権料も結構な負担だそうですが。
でも確かに、八丈島はきれいなひょうたん形をしているのです!

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全景写真がなかったので、TEPCOでもらったキーホルダーでご勘弁を。


八丈の味

八丈の味と言ったらやはり“魚”に“くさや”“明日葉”でしょうか。

まずは『島寿司』。島で獲れた魚を“漬け(づけ)”(醤油につけ込んだ刺身)にしたお寿司。漬け好きにはたまりません。そしてわさびの替わりにからしが入ってて、これがなかなか合うのです。お椀は、飛魚のつみれと岩のりのお吸い物が定番中の定番。

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3月放送の『銭形金太郎』(ビンボーさん紹介番組)にも出ていた『海遊魚まつり』。(このネーミング、かなり好き。)無料で新鮮なお刺身やらお惣菜をいただけて、そのうえ、明日葉茶や島焼酎が飲み放題の、なんとも太っ腹なイベントなのだ。(6月まで、金・土・日開催)漁師のおかみさん達が運営していて、家庭の味っぽくて美味しい!ここだけの話、二日続けて通ってしまった。(ちゃんとここでお土産も買ったので許してください!)
<この日のメニュー>
お刺身:カツオ(島はたたかないのが基本、一足早い島の旬です)、飛魚(これも今が旬)
明日葉の天ぷら、飛魚のフライ、飛魚とムロアジのさつま揚げ、明日葉のごま和え

あと、はまったのが『くさやパン』。あるパン屋さんで買えるのですが、改良に改良を重ねてできただけあって、かなりイケル!くさやがアンチョビ風になっててちょっと洋風の味付け、苦労の後がうかがえます。パンの生地自体の美味しさもあなどれない。これも二日続けて買いに行ってしまった。

明日葉も滞在中、いろんな料理で食べまくったなぁ〜。「今日摘んでも明日には生えてくる」と言われる明日葉。独特の苦みが、ヘルシーで栄養価が高いことを証明しているのかも。島のいたるところに生えてました。


八丈の産業・文化

服部屋敷で『樫立踊り』と『八丈太鼓』を観たのは学生の時以来、久しぶりだった。あの頃はあまり深い感慨もなかったのに、今回はなぜか、胸がつまってしまい、終止潤んだ目の奥でのぼやけた鑑賞となってしまった。(歳かな、、)
踊りは、全国各地から集まった流人が故郷をしのぶ心から生まれたもので、唄は各地の民謡だ。太鼓は流人が寂しさを紛らわすために叩いたのが始まりといわれる。そう、どちらも流人がもたらした文化なのだ。(流人については後に詳しく書くつもり。)

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見学ができる黄八丈の染元『黄八丈め由工房』。
島の内外から若い人達が多く集まっている。

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黄八丈は島に自生する草木を使った草木染め。黄:刈安(かりやす)、樺:タブノキ、黒:椎の三色で織り上げるのが特徴。その昔、この絹を目当てに関東、小田原、相模の国で島の奪い合いをしたほど。

黄八丈だって、昔はあまりいいと思ったことなかった。だけど、美しかった・・・。こんな黄金色の着物、他にはないよ。黄八丈は美しかった。
<つづく>
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2006年04月13日

八丈島ルーツ探訪記(2)

無惨な姿・・・

4月5日の日記で少し触れた父が勤めていたホテルのこと。八丈では老舗のホテルだったのだが、去年もう経営していないことはなんとなく知っていた。改めて木村さんに聞いてみると、詳しくは書けないけれど、やはりいろいろとあったようだ。まだ残ってるというホテルに向かう。
遠目に見るホテルの外観はなんら変わったようには見えない。しかし、玄関まで来ると、その変わり果てた姿に言葉を失った。
いつでも開業できるような状態にしたままで誰も居なくなり、そのまま1年2年と過ぎているのだそうだ。もうここまで荒れ果ててしまうと、解体せざるを得ないため、その費用もばからしいから、誰も手を出さないという悪循環になっている。まさに廃墟。

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幼かった私にとって、ここは一番記憶が残ってる場所。父は支配人をしていて、母も一緒にここに勤めていた。自分で言うのもなんだけど、私はホテルのちょっとした“アイドル”だったのだ。本土から社長が来た時は社長がずっと遊んでくれて、従業員の方にも可愛がってもらってた。時にはお客様からお声がかかるほどだったんだから!
その思い出の場所、ついこの間だって親戚一同でお世話になったばかりなのに・・この姿は信じられない。


気を取り直して、嬉しい再会

八丈に行くと必ず当時の私たち家族を知ってる方(ホテルに勤めてた方)にお会いしている。今回もまた木村さんがふらっとお宅を訪ねてくれて、お二人に会うことができた。私は、失礼ながら両親と当時のホテルの社長しか、大人の顔を覚えていない。だけど、みなさんは「こんな娘さんになっちゃって〜」(すでに娘さんを通り越してるが・・)と覚えてくれてるのです。少し照れます。

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ポストがいい風情。

雑談していると、自然と父の話になり、ふいに木村さんが「だってmakiちゃんの名前はねぇ〜」と、父が独断で決めた私の名前の由来を言い出した。姓名判断もへったくれもない冗談みたいな(いや冗談であって欲しいと今でも願ってる)由来を、木村さんは知っていたのかぁ。私のルーツをどこまでも知ってるお方だ。恐るべし木村さん!

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八丈小島(今は無人島)を見ながら休憩していた郵便配達のおじさん。いつものスポットなんだって。おじさんは、なんと、当時1世帯しかなかったうちの苗字を覚えていた!(左:木村さん)


垂土(たれど)海岸

母の散骨をした海岸。
ここの玉石にお経の文句を一石に一字づつ書いた『一字一石供養』といういわれがある。島の人は今でもここの玉石を供養としてつかうそうだ。私も一石持っている。

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島の子供達の言葉。「亀とライオンがキスしてる!」
愛らしい自然の造形。

<つづく>
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2006年04月11日

八丈島ルーツ探訪記(1)

はじめに

家族で八丈島を離れたのが、私が4才になろうかという頃だった。
それから私が島を訪れたのは大分後の20才の頃。小学生の時、結構からかわれたりして(折しも『ガキデカ』全盛時代!)八丈島にあまりいい思いを抱いてなかったからなのだけど。
大人になるにつれ、恥ずかしさやデリケートな記憶というのは薄れていき、“島生まれ”と言うことに抵抗がなくなっていった。

今回は4年ぶり、4度目の訪島。今までになくたっぷり滞在時間をとったせいか、八丈のことを私なりに理解し、八丈のことを愛おしく思えた旅になった。
ちょっとばかし、島のPRも兼ねて、旅のことを綴っていくことにする。


竹芝桟橋出航

行く時はたいてい、往きが船、帰りが飛行機。
船は約半日の時間を要するのだが、夜、東京湾を離れていく旅情あふれる雰囲気と、朝方、次第に島に近づく感覚が好きで、あえて船を選んでしまう。船酔いをせず、どこでも寝れるという強者にしかおすすめできないけれど・・・。あと、天候によって欠航になることも多いので要注意。この日も少しヒヤヒヤしたのだった。

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レインボーブリッジを見上げて。
本土に別れを告げる。


八丈島に到着

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朝9時半、八丈島底土港に到着。

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この岩肌と波しぶき、八丈に着いたと実感。
ここが東京というのも不思議な感じ。


生家を訪ねる

島に着くと木村さんが出迎えてくれた。木村さんは、父のホテル時代の同僚で元は本土の人だが、八丈が気に入りそのまま移り住んでいる。今はタクシー業をしていて、いつも行くとお世話になっている。
今日一日は木村さんの案内で私向けの島巡り。

まずは、ずっと気になっていた、生家について聞いてみた。
すると木村さん、「ああ、知ってるよ。中に入ったことはないけどね。」
早速向かってもらう。

私はよく両親から「お前は“ほら穴”で産まれた。」とからかわれた。(そう言っても住んでたのは自分達なのだけれど。)私の記憶があるのは、“ほら穴”ではなく2軒目の普通の家からなので、全くもってそこがどんな家だったのか知らないのだ。写真も1枚も残っていない。両親の証言だけが頼りの場所。その証言とはこうだ。

・そこは、なんとかさんが物置に使ってた場所でタダ同然で借りていた。
・そこは、崖の途中にあった。
・夜、寝転がると、星がきれいに見えた。
・お風呂は五右衛門風呂。
・祖父母が訪れた時、あまりにすごい所で驚いたそう。後日、“畳”を送ってきた。
・住所は「八丈町○○無番地」私の戸籍に出生地として刻まれている。

私はこれらを聞いて、“原始人間ギャートルズ”とか“狼少女”を連想してしまうのだ。実際はどうなのか!

着きました。
おおぉぉ、ここかぁ。。。
なんだか、川口浩探検隊が立ってそうです。

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狭い生活道から脇道に入っていくところ。
写真では平坦に見えるが、かなり急な下り坂。

・・・結構すごいぞ。
住居らしき跡は何もないけれど、両親の証言が誇張ではないことが想像できる。

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ここらへんにあったらしい。

う〜ん、なんてヒッピーな生活をしていたことか!
軽く衝撃を受ける私。でもこれも面白いんじゃない?
そしてこのようなところは八丈のいたるところにあるのですよ。。。
あ、もちろん皆さんちゃんとした家に住んでますけどね。

<つづく>
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2006年04月05日

私にとっての八丈島

千住から離れた話題が続くのだが、今週末、八丈島へ行くにあたってこの島のことを書いておこうと思う。

八丈島は私が生まれた場所だ。
そして母は八丈の海に眠っている。
父は「八丈は俺のルーツだ。」と言ってはばからない。

両親が島の人、という訳ではない。
たまたま父が仕事で八丈に赴任し、そこで私が生まれたのだ。

結婚して間もない父に、当時勤めていた会社から、八丈島のホテル勤務の辞令が出た。その会社の社長も父という人物をよく分かっていたのだろう。「この男なら行ってくれるだろう。」と。生来、後先のことをあまり考えないフーテン気質の父。人によっては気落ちするかもしれないこの辞令も、あまり深く考えずに受け入れたに違いない。母も飄々と流れに身を任せるタイプ、ゴネることもなかったようだ。

社長の読みは大正解。
ホテルの仕事は、ドラマじゃないけど毎日のようにヘンテコな“事件”が発生し、それはそれは楽しかったらしい。
ジャイアント馬場が来た時のこと。(昔は今よりも観光客も多く芸能人などもよく利用してたそうだ。)
台風の時、従業員全員で壁を抑えて建物を守ったという話。(屋根は飛んじゃったらしい。)
見よう見まねでウェディングをやってみた話。(かなりインチキくさい。)
ホテルの前の海岸を勝手に『八丈島ワイキキ海岸』などと命名し、石碑まで作った話。(好き勝手やってる、、)
などなど、漫談家になればよかったと思うくらい話がうまい父から、よく面白おかしく聞いたもんだ。

仕事は楽しい。島の人は優しい。
そして最愛の女房がいて、待望の子供(つまり私)が生まれた。
父にとってはあの頃が幸せの絶頂期だったようだ。

父から“俺のルーツ”発言を聞いたのは、母が亡くなった直後だっだ。だから八丈島の海に散骨したい、ということだった。もちろん自分が死んだ時もそうしてくれと。
私は了解し、親戚への説得にあたった。しかし説得という作業もいらないくらいで、誰一人反対する人はいなかった。それどころか、八丈島までこぞって参加してくれた。皆、当時よく八丈島に遊びに来ていてそれぞれに思い出があったようだ。

今年は母の七回忌。八丈の海はどんな表情をしているだろうか。


本当は、私の生家、通称“ほら穴”のことを書いて旅立とうと思っていたのだが、仕事もまだ残ってて、ちょっと無理そうなのでこれは帰ってきてからにしよう。
posted by maki at 22:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 八丈島のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする